石神井公園駅今昔(その2) 昭和30年代

石神井公園駅大正9年(1915)4月に西武池袋線開通と共に開業した。
したがって今年で足掛け100年、来年は満100年になる。

開業時の写真をあちこち探してみたが結局見つからなかった。
お隣の大泉学園駅の開業当時の写真は残っているので、
西武鉄道の資料室のようなところを訪ねれば見つかるかもしれないが、
それはまた別の機会に。


私の入手した写真で最も古いものは、師岡宏次の『思いでの武蔵野』の中に
ある石神井公園駅付近と題した写真である。


[1] 昭和18年6月
イメージ 1

一面に麦畑が広がり、今の石神井公園からは想像もできない。
残念ながら駅舎は写っていない。


昭和30年代に入ると、駅舎が写った写真が残っている。
以下の写真は練馬区史などから引用した。


[2] 昭和31年(1966年)
イメージ 2

キャプションには「人口急増前の閑散とした駅前」とある。

女学生の白い制服や腕まくりして男性の姿から季節は初夏、
時刻は午前8-10時頃だろう。
荻窪行きの西武バスには「パンビタン」の広告が見える。
アリナミンが出る前に武田製薬が扱っていたビタミン剤である。



[3] 同じ昭和31年の写真をもう一枚。
イメージ 3

駅のプラットホームを写した写真である。

二番線側の天井から文字を連ねた看板がぶらさがっている。
「○泉」とか「○沢」、「秋○」、「吾野」といった文字が読みとれる。
大泉、所沢、秋津、吾野といった下りの駅名を書いた看板だろう。

とすると、奥に見えるのは池袋に向かう電車、右手方向が池袋ということになる。
一番線側にも似たような看板が下がっており、非常に不鮮明だが、
練馬、池袋と読めなくもない。

高架工事が始まる前のプラットホームには池袋寄りに跨線橋があったが、
この写真が撮影された昭和31年にはまだ無かったようだ。
写真の手前を歩いている半袖、ハンチングの男性は、
田舎の駅のように線路を横断して駅舎(右手)に向かっているのだろう。



[4] 昭和37年(1962)2月
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この写真は[2]の写真からおよそ5年後。
この駅舎は昭和3年(1938)から37年(1962)まで使われたというから、
最後の年になる。

影の向きからみて時刻は正午過ぎ。

駅舎入り口右側の売店の上にあった「森永キャラメル」の看板が消えている。
駅の入り口付近には子供連れが二組、売店の前にも子供が見える。
石神井公園での行楽の帰りだろうか。

画面左サイドには人だかりができている。
子連れの女性は子供に何かを説明しているようだ。
画面中央を横切っている男性も人だかりの先を見ている。
視線の先には何があるのだろう。

駅前を歩く人の足取りには急ぐ気配はない。
2月の休日、昼下がりの駅前風景、ということにしておこう。



[5] 昭和30年代
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この写真は昭和30年代としか分らないが、森永キャラメルの看板が無いので、
四番目と同じ時期の写真だろう。

駅に向かう人の影が西に向かって長く伸びている。
通勤を急ぐ朝の駅前風景である。

画面右端には電話ボックスにもたれて何かを読んでいる男性と和服の女性が見える。
荻窪行きのバスを待つ行列のようだ。


そしてなんといってもこの写真で印象的なのは、駅の入り口近くに
人待ち顔で佇む若い女性である。

バックを下げ、書類のようなものを腕に抱えている。
人々の視線をかわすように少し斜め前方を見ている。
待っているには誰だろう。
同じ職場の仲間か、それとも恋人か。