石神井公園駅今昔(その2) 昭和30年代
[2] 昭和31年(1966年)
![イメージ 2](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/svsv/20191007/20191007152449.jpg)
![イメージ 2](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/svsv/20191007/20191007152449.jpg)
キャプションには「人口急増前の閑散とした駅前」とある。
女学生の白い制服や腕まくりして男性の姿から季節は初夏、
時刻は午前8-10時頃だろう。
荻窪行きの西武バスには「パンビタン」の広告が見える。
アリナミンが出る前に武田製薬が扱っていたビタミン剤である。
時刻は午前8-10時頃だろう。
荻窪行きの西武バスには「パンビタン」の広告が見える。
アリナミンが出る前に武田製薬が扱っていたビタミン剤である。
[3] 同じ昭和31年の写真をもう一枚。
![イメージ 3](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/svsv/20191007/20191007152453.jpg)
![イメージ 3](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/svsv/20191007/20191007152453.jpg)
駅のプラットホームを写した写真である。
とすると、奥に見えるのは池袋に向かう電車、右手方向が池袋ということになる。
一番線側にも似たような看板が下がっており、非常に不鮮明だが、
練馬、池袋と読めなくもない。
一番線側にも似たような看板が下がっており、非常に不鮮明だが、
練馬、池袋と読めなくもない。
高架工事が始まる前のプラットホームには池袋寄りに跨線橋があったが、
この写真が撮影された昭和31年にはまだ無かったようだ。
写真の手前を歩いている半袖、ハンチングの男性は、
田舎の駅のように線路を横断して駅舎(右手)に向かっているのだろう。
この写真が撮影された昭和31年にはまだ無かったようだ。
写真の手前を歩いている半袖、ハンチングの男性は、
田舎の駅のように線路を横断して駅舎(右手)に向かっているのだろう。
[4] 昭和37年(1962)2月
![イメージ 4](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/svsv/20191007/20191007152457.jpg)
![イメージ 4](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/svsv/20191007/20191007152457.jpg)
影の向きからみて時刻は正午過ぎ。
画面左サイドには人だかりができている。
子連れの女性は子供に何かを説明しているようだ。
画面中央を横切っている男性も人だかりの先を見ている。
視線の先には何があるのだろう。
子連れの女性は子供に何かを説明しているようだ。
画面中央を横切っている男性も人だかりの先を見ている。
視線の先には何があるのだろう。
駅前を歩く人の足取りには急ぐ気配はない。
2月の休日、昼下がりの駅前風景、ということにしておこう。
2月の休日、昼下がりの駅前風景、ということにしておこう。
[5] 昭和30年代
![イメージ 5](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/svsv/20191007/20191007152502.jpg)
![イメージ 5](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/svsv/20191007/20191007152502.jpg)
この写真は昭和30年代としか分らないが、森永キャラメルの看板が無いので、
四番目と同じ時期の写真だろう。
四番目と同じ時期の写真だろう。
駅に向かう人の影が西に向かって長く伸びている。
通勤を急ぐ朝の駅前風景である。
通勤を急ぐ朝の駅前風景である。
バックを下げ、書類のようなものを腕に抱えている。
人々の視線をかわすように少し斜め前方を見ている。
待っているには誰だろう。
同じ職場の仲間か、それとも恋人か。
人々の視線をかわすように少し斜め前方を見ている。
待っているには誰だろう。
同じ職場の仲間か、それとも恋人か。