広重ツアー 「第115景 高田の馬場」

 
20日の広重ツアーは早稲田~市ヶ谷を回った。

最初に行ったのは、高田の馬場跡。
高田の馬場は、なんといっても堀部安兵衛の助太刀の場所として名高い。
安兵衛はこの活躍が縁となって赤穂藩士の養子となり、
今度は吉良邸で主君の敵討ちを果たす。
江戸子が皆知っている場所、それが高田の馬場である。

広重はここでこんな絵を描いている。

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遠景に白く雪をかぶった富士山、中景に馬場、手前に弓道の練習風景が
描かれている。
空には雁が飛んでいる。晩秋もしくは初冬の頃か。


場所は西早稲田、下の地図の赤で囲んだ場所である。
広重は水稲荷神社と書かれたあたりから南西の方角を描いている。

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早稲田通りと北側の裏通り(茶屋通り)が馬場の周回コースにあたる。
Aの地点に立ってみると、馬場跡らしく道が真っすぐに伸びている。

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安兵衛が活躍したのは元禄、広重が上の絵を描いたのは幕末。
時代は異なるが、広重のことだから、何か手掛かりを残しているはず、
そう思って 歌舞伎絵をググってみると、安兵衛の頭上に松を描いたものが
ポツポツある。

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江戸の人々にとって安兵衛と馬場の松の組み合わせは一種の約束事に
なっていたのではないか。

広重も画面手前に頭上に差しかかるような松を描いている。
江戸の人々は絵の中の松を見るだけで安兵衛を思い浮かべることができたのだろう。


(蛇足)
 実は茶屋通りはずっと昔、まだ20代だった頃に毎日歩いた道である。
 地図のBの辺りに下宿して、この通りにあった銭湯*や食堂を利用していた。
 ここが有名な馬場の跡だということはこの日まで全く知らなかった。

  *安兵衛湯(かぐや姫の「神田川」に出てくる銭湯のモデル)。
   銭湯はとっくに廃業して、今は無い。
   上の写真の右側のマンションの辺りに建っていたような気がする。

 通りには新しい家がぽつぽつ建っているが、街のたたずまいは
 昔とあまり変わっていない。