広重名所江戸百景 -「都心河川百景クルーズ」 (その3)

 
水道橋を過ぎ、飯田橋の手前まで行きますと川が分流しています。

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真っすぐ行くと神田川の上流、この日は左に曲がって日本橋川に入ります。
神田山の掘削以前はこちらが本流です。

日本橋川にもたくさんの橋がかかっていますが、
無粋なことにどの橋も高速道路の下になっています。

ここ堀留橋も高速道路の下です。
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橋の名前からも分かるように神田川の開削後、本流の一部が埋め立てられて、
この辺りが日本橋川の最上流になっていました。
明治になって再び掘り起こされ、神田川日本橋川が繋がったそうです。

この辺りは江戸城にごく近いため、俎橋、雉橋、一ツ橋、神田橋といった橋には
警護の御門が設けられていました。
その跡が石垣として残っています。

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一方川の左岸には雉橋から神田橋の辺りまで広大な空き地が広がっていました。
仇打ちで有名な護持院ケ原です。
城下の火事から江戸城を守るための役割を持っていましたが、将軍のタカ狩りや
庶民の息抜きにも利用されていたそうです。

明治になってその跡地に大学が作られたため、隣接する神保町に古本屋街が発展して
今に至っています。


さて船は大手町を右手に見ながら中央線の橋梁の下に進んでいきます。
その橋にエンブレムが見えます。
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懐かしの国鉄のマークです。
鉄ちゃんには見逃せないポイントのはずですが、これが見えるのは川の上だけだとか。

常盤橋、一石橋を過ぎると、花の日本橋です。
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残念ながら工事中です。

広重はここでたくさんの絵を描いていますが、名所江戸百景の日本橋
これです。
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日本橋から東の方角を見ています。(我々の船が進んでいる方向)
手前に棒手振りが担ぐ天秤棒が見えます。
魚はカツオのようです。
早朝日本橋の魚河岸で仕入れた魚を、これから売りに出かけるのでしょう。

下流には江戸橋、その向こうに鎧の渡しの渡船や小舟町の倉庫群が見えます。
今はビルが両岸を取り囲んで、地名・橋名として残るのみです。


豊海橋の向こうにようやく隅田川が見えてきました。

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このあたりでようやく高速道路が部上から消えたのでありました。

(注)高速道を地下化して景観を取り戻そうという話も時々聞こえてきますが、
 いっこうに具体化しません。
高速道の下にある橋の写真を全部のっけて、いかにひどいか見ていただこうか
とも思いましたが、面白くもありませんしね。
やめました(笑)。