石神井のいにしえ

石神井公園の一画に豊島城の遺跡があります。
ここを拠点にした豊島氏は戦国の頃、江戸の太田道灌に滅ぼされました。
これにちなんで石神井町では毎年5月、照姫祭り が毎年行われています。

そんなことを見聞きしていましたので、豊島氏は練馬を拠点とする
小規模な地方豪族だろうと漠然と思い込んでいました。

先日、広重ツアーで配られた切絵図を眺めていましたら、浅草の北のあたりに
豊島郡という地名があります。
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そういえば以前に訪ねた平将門首塚の看板にも「武蔵国豊島郡」と
ありました。
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この首塚は東京駅のすぐ近く、大手町のビルの谷間にあります。
江戸(城)の地も豊島郡、すなわち豊島氏の支配地だったのです。

あらためて調べてみますと、東京23区の北半分が豊島郡にあたります。
武蔵野国の中でも多摩郡に次ぐ大郡だったそうです。

豊島氏が滅びた後も明治になるまで、豊島郡というエリアはそのまま
引き継がれてきましたが、今は池袋を含む区名として残るのみです。