アンジェリーナ 君が忘れた靴

小川洋子の「アンジェリーナ 君が忘れた靴」を読んで、不思議な経験をした。

アンジェリーナは佐野元春の最初のヒット作。
車のエンジン音に似たビートに乗せて、孤独な若者、
愛を求めて夜の町をドライブする若者の姿をアップテンポに歌う。
若者の目の前には様々な街の景色や人が現れ、通り過ぎていく。
アンジェリーナも通り過ぎる景色のひとつにしかすぎない。

ニューヨークから流れてきたバレリーナ、アンジェリーナ。
小川はたったそれだけしか語られていないアンジェリーナに
くっきりとした形を与え、物語をつむぎ出す。
車とは無縁の会社員の僕とアンジェリーナの淡い夢のような物語を。

物語は静謐に進む。
偶然拾ったトゥーシューズ、それを受け取りに現れるアンジェリーナ、
二人の間に流れる静かな時間、そしてフッと消えてしまったアンジェリーナ。

不思議なことに、この短編を読んでいる間、ドゥーダダ、ドゥーダダという
ビートが耳の奥にずっとなり続けていた。
そして佐野の曲に戻ると、通り過ぎる景色でしかなかった夜の街、
登場人物が生き生きと動き始める。
こんな経験は初めてだ。

小川の意図は、明らかだ。
すなわち音楽と小説のコラボレーションだ。

小川はあとがきの中で、曲の奥深いところに小説の言葉が潜んでいた、
繰り返し聞いているとどんどん物語が湧き上がってきたと述べている。
小川がそれを紡ぎ出し、形にすることによって、佐野の描いた世界が
より豊かになることを確信していたのだ。
そしてそれが見事に成功している。