転入のご挨拶

長くヤフブロを使っていましたが、12月で閉鎖の予定となり、

こちらに引っ越してきました。

向こうでは「石神井つれづれ記」というタイトルで、趣味の

写真のことを書いていました。

こちらの内容がどうなるか自分でも予想できませんが、とりあえず、

町歩きガイドに絡むことを書いてみようかと考えています。

 

ではよろしく  (2019/10/08記)

 

写真集 REQUIEM(レクイエム) 集英社(1997)


 1950年代から1975年までの間に、ベトナム周辺の戦場で135名のカメラマンが死亡または行方不明となった。その中にはロバートキャパやラリーバローズのような高名なフォトジャーナリスト、沢田教一や嶋元啓三郎などの日本人カメラマンがいた。そして砲弾の向こう側にも多数の従軍カメラマンがいた。
 この本は戦場からかろうじて生還したカメラマンが、戦場に散った同業者の残した写真を収集し、レクイエムとして捧げたものである。

 戦争初期の頃、彼らは戦場だけでなくインドシナの湿潤でやさしい風景や人の姿に心を奪われカメラを向けていた。
(写真1)エヴェレット ディクシー リース(1950年)
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1960年代半ばアメリカが本格参戦する頃になると、写真は死と隣り合わせのヒリヒリとした空気を伝え始める。周囲の密林や潅木に潜む敵と対峙する恐怖。デルタやジャングルの中で泥水に浸かり、這いずり回り、逃げ惑う。
       (写真2)アンリ ユエ(1966)  田んぼのあぜ道に身を隠す兵士
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       (写真3)デーナ ストーン(1966)
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       (写真4)アンリ ユエ (1967) 戦死者を回収しようと匍匐前進する兵士
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そして膨大な血と死。
       (写真5)ラリー バローズ(1965) ヤンキーパパ13号同乗記
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       (写真6)オリバー ヌーナン(1969) 救出を待つ負傷兵
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 多くの無名の若者がカメラを抱えて戦場に向かった。ピューリッツァー賞をものにした若者もいれば、戦場に赴く前に地雷に倒れたものもいた。
          (写真7) 沢田教一 安全への逃避
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 戦場に向かって彼らを駆り立てたものは何か。
今ではすっかり忘れ去れた何かをこの本は思い出させてくれる。
そして彼らは確かに戦場の真実を写し取った。

大山詣り



この週末、大山の紅葉見物に出かけた。あんまりいい天気だったので、上まで登って富士山と丹沢を眺めてきました。

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素晴らしい富士山がみえたけど、思ってた以上にキツイ坂で、帰りはヘロヘロ、ガクガク

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翌日からは筋肉痛で歩くのがつらいw
今日も足を引きづりながら、仕事に向かっています

東京モータショウ2015

 
今日からモーターショウの一般公開が始まり、午後から
駆け足で見てきた。

今年も米系メーカの出展は無かったようだが、例年に比べて
人出が多いように感じた。

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先ずはトヨタのメインブース。

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赤い車体が新型プリウス
正面から見るとなかなか精悍な表情である。
また人気が出そうだ。

奥の黄色と手前のグレーの車はコンセプトカー。
過度に「未来」を志向したデザインとは一線を画し、それでいて
ありきたりのデザインから抜け出そうとするトヨタの意思の
ようなものが感じられる。

このデザイン力が新型プリウスにも活かされているのだろう。



日産、ボッシュデンソーなどは自動運転がらみの技術PRに力を入れていた。
2020年頃の実用化を目指しており、公道での走行試験も
各地で始まっているのだそうだ。

キーデバイスは周囲を認識するセンサ、アクチュエータとしての
電動パワステと電動ブレーキ、
そしてインテリジェントな制御ユニット。

センサとアクチュエータ、コントローラぼ三点セットは昔から
自動制御の定番の仕組みであり、特別のものではない。

その意味では5年もあれば技術としてはあるレベルまで行くと思うが、
ユーザや社会の受け入れの準備がそれまでにできるか。
運転の楽しみとの折り合い、機械に100%まかせることへの不安、
といった心理的問題は5年程度では崩れないような気がする。



ドイツ勢・ヨーロッパ勢は時期が時期だけに、抑え気味の演出だった。
それでも長年磨き上げてきたデザイン、それを浦ずける技術力は
分厚い。

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そしてこんな憎い演出も。

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山頂の雪

 
10月も終わりに近づき、ようやく富士山がくっきりと見えるようになった。



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今朝の散歩コースからの富士である。


山頂付近が白くなっている。
少し前に降った初雪の残りだろう。

富士山の左側稜線に見える膨らみは
昨晩ブラタモリで取り上げていた宝永山の火口か。


写真右端のピークは大山である。
丹沢の山塊は大山の後ろ側から右手に広がっている。

東京から見る富士山はその下半分が丹沢の山塊で 隠されていた
ここではどっしりと大きな富士が見える。


寒さがつのればもっとくっきりとした富士が見えるだろう。

足慣らし

丹沢も近くなったことでもあるし、久しく忘れていた山歩きを再開しようと考えている。

その足慣らし、体力測定をかねて山北町の大野山にでかけた。


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大野山は丹沢と箱根の中間にあり、富士山の眺望でも知られている。
700mあまりの低山だが、体力に確信を持てない今の私には
ちょうど手頃な山だろう。


山北駅の近くの登山口から、ゆっくりのんびり登って
2時間ぐらいで山頂に到着。
汗びっしょりにはなったが、心配するほどの息切れもなかった。


目の前には丹沢の山塊、足元には丹沢湖


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箱根の方面には噴煙らしきものが見える。


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大涌谷の噴煙だろう。


あいにく富士山は雲の中だったが、そこまで求めるのは贅沢というもの。
山に行く体力がまだ残っていることを確認できただけでよしとしよう。
誰かと一緒に出かけてもそれほど迷惑をかけなくて済みそうだ。
(まだ低山なら大丈夫というレベルだが)


帰りは山北駅の一つ西にある谷峨駅の方向に下った。
その途中で見かけた茶畑は、5年ほど前の新緑の頃、
父と 写真 を撮りにきた場所だった。

この茶畑を見かけなければ同じ山に来たとは気が付かなかっただろう。

横浜からご挨拶

横浜に越してきて二週間になりました。
住民登録、免許書き換え、住所変更など一通りの手続きが終り、
テレビやネットも使えるようになりました。

部屋の中にはダンボールが残っていますが、
どうにか普通の生活ができるようになりました。

実家まで車で20分程度だし、むかし通った高校も歩いて行ける距離にあります。
典型的なUターンです。
時間は何十年とかかっていますけどw。


通勤時間は20分程度長くなりましたが、朝の通勤散歩(神田辺りを毎朝歩いた)を
カットしたので、家を出る時間はそれほど変わりない。

カットの穴埋めは休日の散歩の時間を長くしてなんとかしようと思っています。
幸い家の近くに「こども自然公園」(昔はたしか大池公園と言っていた)という
大きな公園があります。
引っ越し直後からこの中を歩き回っていますが、だいたい40~50分程度はかかります。

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さてこのブログ「石神井つれずれ記」ですが、継続するか、
閉鎖するか、少し悩みました。
とくにこの1年、Facebookの利用頻度が増えてきて、
ブログと両方をやるのはしんどくなってきているというのもあります。
このためブログの更新の頻度も減ってきています。

一月ほど考えあぐねていたのですが、あらためてブログを読み直してみて、
日々の活動の記録や整理という面ではSocial Media より優れていることに
気が付きました

ということで、このブログをいましばらく続けることにしました。
名前は「石神井つれずれ記 あらため横浜つれずれ記」に変わります。

「横浜つれずれ記」として新生スタートしたたほうが潔いかとも思いましたが、
石神井で暮らした日々の記録も捨てがたく、こんな名前になってしまいました。

今後も」よろしくおねがいします。

最後の夜

 

夜になって、石神井公園のボート池の周りに涼しい風が吹き始めた。



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昨日までは夜になっても蝉の声がうるさかったが、
今日は虫の音がきこえる。

静かな夜だ。


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このブログを書いたら、パソコンの電源を落とし、
ケーブルと一緒に箱に詰める。

これで箱詰めが全て完了する。


最後に公園を一回り散歩し、風呂に入り、寝る。


明日は横浜に引っ越しする。


グッドバイ 石神井

   グッドナイト 石神井 !