神田須田町の都電

 
地下鉄丸ノ内線淡路町駅を出ると、そこは神田須田町である。
毎朝この辺りから大手町に向かって歩く。

先日、昭和の東京の写真集*を眺めていたら、須田町付近の写真があった。
  *「都電が走った昭和の東京」

イメージ 1

12系統だから、この電車は新宿から両国へ向って靖国通りを走っている。
時期は1968年8月、廃線の1年半前である。

線路がカーブしている。
この付近で靖国通りがカーブしている場所は一箇所だけだ。
淡路町駅出口のすぐ目の前にそのカーブはある。


イメージ 2

この位置からではカーブがわかりにくいのでポイントを変えて
撮影したものをもう一枚。

イメージ 3



45年以上の歳月が流れ、協和銀行りそな銀行に変わっている。

白黒写真の協和銀行の隣には第一洋服とか西定商店と言う看板がかかっている。
ネットで検索してみると、西定商店でヒットする。
「にしさだむ」と呼ぶらしい。
場所は2枚目の右端の細長いビルのあたりである。
姿かたちは変わってもここにちゃんと生き残っているがうれしい。


第一洋服は検索にヒットしないが、2枚目3枚目の黒いビルは
その跡地にたっている。


この黒いビルの右に見える和風の建物はソバの松屋である。
前の職場から近かったので、何回か行ったことがある。
池波正太郎も贔屓にした店として有名だが、気取らない庶民的な店である。

この店はたしか昭和の初めごろの建物のはずだ。
1枚目の写真をよく見るとカルピスの看板の左側に、ペプシの看板(?)を
出している建物が見える。
場所的にはここしかないが、店構えは現在のものとまるで違う。
一時商売替えしていたとか、蕎麦屋ペプシを出す時代があったとか、
いろいろ推測はできるが、はっきりしたことは分からない。
少なくともこの写真をとった後に店構えを変えたことは分かる。
その時々のニーズに合わせて、しぶとく生き残ってきたのだろう。



東西を結ぶ12系統は、この近くで上野と銀座方面を南北につなぐ路線と
交錯していた。
このため、須田町付近は乗り換え客でごった返す都内有数の繁華街だったという。
今はその面影はほとんどない。