「江戸名所図会」で見る石神井 「江戸名所図会」で見る石神井

  
「江戸名所図会」の中に「三宝寺池・弁財天・氷川神社石神井城跡」という長ったらしい題名が付いた一枚がある。

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絵の左側が三宝寺池、池中に突き出したのが弁財天だ。
この構図から、この絵が池の西岸から東の方向を見たものであることが分かる。
そして弁財天の右側の丘が氷川神社とその境内だ。

とすればその向こうに半島のように突き出している丘が石神井城跡だろうか。
遠景に見えている丘はどのあたりだろう。
どうでもいいことだけど、石神井に住む身としては、気になる。


三宝寺池の西岸に行ってみる。

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たしかに弁財天は同じ位置にある。
でも図会の右側にあるような小高い丘や森は見えない。


図会は氷川神社の境内を見下ろすような視点から描かれている。
いわゆる鳥瞰図である。

同じ高さから見れば、図会に書かれたものがすぐ確認できるだろうが、
あいにくこの近くには高い場所も高い建物もない。

ずっともやもや状態が続いていたが、
ふとGoogle Earthを使うことを思いついた。
GoogleEarthなら上空からの写真だけでなく、地表近くの立体地形も再現できる。


視点を変え、いろいろな高度を試し、仰角も調整してやっとこんな絵をゲットできた。

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Google Earthの画像処理の限界のため、手前側が大きくデフォルメされているが、
池と弁財天の位置関係、池の向こう岸(赤の線)、氷川神社をとりまく木々の並び(緑の線)など、絵図と共通点が多い。

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写真では石神井城跡と氷川神社の境界ははっきりししないが、「石神井城跡」
という文字の少し下あたりに、現在でも空堀りの跡が残っており、
その向こうの城址が小高くなっている。
絵図ではそれを強調して小山として描いていることが分かる。

最上部に連なっている丘は、位置的には石神井ボート池の南岸のあたりだ。
現在野球場になっているあたりだろう。

それにしても江戸時代の鳥瞰図はすごい。
地上からの観察だけで、現代の最先端の技術と遜色ない風景を描き、
我々に見せてくれるのだ。