ジョブスの引退 - 一つの時代の終わり(1)

 

昨日の午前中、ジョブス引退のニュースがネットに流れた。
取締役会に宛てたジョブスの手紙であり、間違いはないらしい。
ここ数年はガン治療や肝臓移植のために休職を繰り返していた。
皆が恐れ、覚悟していたことがとうとう現実になったのだ。


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ネットにはジョブスの業績を回顧する記事やAppleの将来に対するコメントが
溢れているが、ここでは私個人の思い出を書いてみようと思う。


1984年の夏頃、発売して間もない Mac(512k?) を会社の同期の人間が
アメリカから取り寄せた。
同僚のオフィスで最初に触った時の衝撃は忘れることができない。
MacDrawというソフトを使えば、フォントを自由自在に拡大し、図表と組み合わせてプレゼンテーションの資料を作る事ができる。
最初は英語しか扱えなかったが、我々の働いていた職場は海外で技術発表する機会が
多かったため、Macは大人気を博し、あっというまに数が増えていった。

1986年の初めにMacプラスが発売され、日本語環境も整備され始めたので、個人でもMacを買う人が増えていった。
私もその年の暮れに購入に踏み切った。
秋葉原のあたりをうろつき、結局岩本町の店で買った。
Macプラスとハードディスク、ImageWriter(インクジェット)、ソフトなどを合計すると
なんと80万円近い金額となった。

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始めて個人で買ったパソコン。
机の上から本や文房具を追い払い、Macを並べた。

わずか9インチのディスプレイであるが、文書編集やプログラミングはもちろん、
メールもできたし、ゲームもできた。
ビットマップディスプレイが動き、マウスがあった。
仕事柄、会社ではメインフレームやミニコンIBM PCを日常的に使っていたが、
Macの登場により全く新しい世界が始まったことがヒシヒシと実感できた。


そして上蓋を空けると、その裏にはMac開発を担ったメンバの名前が
浮き彫りになっているのであった。
当然ジョブスやウォズニアッキの名前もあった。

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研究開発に従事していた人間にとってこれほど刺激的なことはなかった。
自分たちもいつの日か製品の中に名前を仕込んでやるのだ、という思いが
湧きあがってくるのを抑えることはできなかった。
(残念ながらコンシューマ製品を担当することはなかったので、夢のまま終わってしまった(笑))


やがて会社はパソコンをWindowsに統一することを決め、新しいMacの購入は禁止となった。
瞬く間にwindowsPCで占拠されていくが、それでもMacとLaserWriterの組み合わせは
圧倒的にアドバンテージがあり、windowsが追いつくまでには何年もかかったと記憶している。

個人的はその後もPowerMaciMaciPodiPhoneと使い続け今に至っている。
MacPlusには滅多に触る事がなくなったが、それでも気が向けば
ロードランナで遊ぶことがある。
10ポイントフォントほどの黒い人物をコントロールして、迷路の中のターゲットを
取りまくるゲームは今でも魅力的だ。