広重名所江戸百景  第87景「井の頭の池弁天の社」

 
先週の広重ツアーは井の頭公園と新宿地区を歩いた。

井の頭公園は名所江戸百景に描かれた場所の中で一番西の端にあたる。
江戸の中心からおよそ20km、新宿からでも12km離れている。
江戸の御府内、西の端は内藤新宿だから、井の頭は江戸には含まれない。

広重が「江戸」百景に井の頭を取り上げたのは、ここが江戸っ子の命の水、
神田上水の水源だったからであろう。

第87景「井の頭の池弁天の社」
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ここには今でも弁天様がある。

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本殿は昭和になって再建されているが、石灯籠や記念碑が多数残っており、
寄進した人たちの名前や町名が今でもはっきり読める。
井の頭公園には年に何度か足を運ぶが、江戸の名残があるとは全く知らなかった。


もう一度広重の絵に戻ろう。
絵の中ほどに右側から付き出ている洲が描かれている。
現在動物園などの施設があるあたりのようだが、それは右側ではなく、
左側から伸びている。

また弁天様を正面に見る方角は北~北東になる。
その方角には筑波山があるが、百景に描かれた他の筑波山とは
形も大きさも異なる。

広重は現場に行かずに想像ででっちあげたのだろうか。

下の絵は「江戸名所図会」の井の頭の図である。
(このシリーズも江戸外の井の頭をえどの名所に取り上げている)

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(拡大します)

神田上水の源元」と書かれた辺り(絵の中央)に洲が付き出ている。
弁天様の方角から見ると、やはり左岸から突き出ていることになり、
広重の絵とは逆だ。

さらに右上を見ると白抜きの山並みが描かれている。
その形は広重の書いたものとそっくりである。
  (注)この絵自体は東南の方角を向いて書いているようだから、
     白抜きの山は南~南西の方角に見える山ということになる。
     箱根辺りだろうか。

洲が右側から突き出すように見えて、遠景に白抜きの山が見える場所、それは
「名所図会」の左手の高台(絵から少しはずれた辺り)であろうか。
それは広重が弁天様をスケッチした場所と池をはさんだ反対側になる。

この矛盾をうまく説明した説があり、有力視されている。
広重の「井の頭の池弁天の社」は、異なる方向から見た近景と中遠景を
組み合わせた絵であるというものである。

異なる視点からの風景を組み合わせたり、異なる季節を一つの絵に組み込む
技術は日本の伝統的な手法なのだそうだ。

以上今回は広重ツアーの受け売りでした。

(注)広重ツアーでは毎回、名所江戸百景のうち、4-5か所を回ることが多い。
 このブログで書けていない所がたくさん残っている。
 時期を見て少しづつアップしていこうと思う。