広重名所江戸百景ツアー  品川宿の巻

 
10月の中旬、ツアーで旧東海道品川宿あたりを歩いた。

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京浜急行青物横丁駅を降り、東(海岸方向)に100mほど歩くと、
旧東海道にぶつかる。
このあたりは南品川と呼ばれ、品川宿の南の入り口にあたる。
交差点に近い品川寺(ほんせんじ)から、北のJR品川駅に向かって歩く。

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古い建物は無いが、このあたりは幹線道路の第一京浜からはずれているため、
街筋や道幅は当時のまま残っている。

この道を進んで、目黒川を越えると北品川に入る。
品川宿の中心だ。

山手通りにぶつかったら、右手を見てみよう。

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赤レンガの建物の手前に大きな木が見える。
品川の本陣跡である。
ここから日本橋まで2里しかなかったが、大名は本陣に泊って、
陣容を整えた上で江戸に入った。

山手通りがむこうに向かって下っている。
バスの走っているあたりは目黒川のかっての最下流付近である。
川の向こうに防波堤のような形の砂州が伸びていた。


広重名所江戸百景の「品川すさき」(第83景)でその当時の様子を知ることができる。
(地図の①の方角)

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手前の川は目黒川の河口、川の向こうは洲崎、社は利田(かがた)神社である。

画面右端、海中に見えているのはお台場の砲台。
この絵がかかれた安政4年(1857年)はペリー来航から4年後にあたる。

同じく左下に見えている建物は品川宿一番の伎楼、土蔵相模。
幕末、水戸浪士はここから井伊直弼暗殺に出発し、高杉晋作
長州藩士はイギリス公使館焼き打ちに出かけた。



広重は名所江戸百景の中で、土蔵相模に関係する絵をもう一枚描いている。
82景「月の岬」である。(地図の②)

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品川沖にのぼった仲秋の名月が軒にかかっている。
月見の宴会が終った座敷を月が煌々と照らしている。
左側の遊女は少し見上げるように顔をあげている。
今夜の客と立ち話をしているのか。
右側の立膝の人物にも相方がいるようだ。
宴のあとのほろ酔い気分と月夜の清澄感が見事に描かれている。


土蔵相模の建物は昭和の頃まで残っていたらしい。
今はマンションに姿を変え、一階にファミマが入っている。

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ここから品川宿の北の出入り口(京急北品川駅付近)はもうすぐだ。
広重は東海道五十三次最初の宿場町、品川宿を江戸側から描いている。

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品川宿が海岸ギリギリに延びているのがよくわかる。