「いまひとたびの」  志水辰夫

 
「つばくろ越え」のあと、志水辰夫をまとめ読みしている。
この本も10年ぶりに棚から取り出した。

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9つの話からなる中編小説集である。
いずれの話にも死の影がちらつく。
主人公がガンを病んでいるたり、会社の同期仲間の死、
恋人の死、母の死などが取り上げられる。
だがいずれも重苦しさはなく、清澄で、暖かさに満ちている。

特に前半の5件がいい。
いずれの小説も最後は映画のシーンのように、鮮やかに締めくくられる。
古い本だから、一つぐらいなら紹介してもルール違反にはならないだろう。

<< 第3話 「夏の終わりに」>>
夏休みを郷里の空き家で過ごしている夫の元に、
週末、東京から妻が訪ねてくる。
夫の余命は長くないらしい。
夫も妻もそのことを知っているが、相手がどこまで知っているかは知らない。

このありふれた状況にある夫婦の機微が描かれる。
妻はいつもと変わらず、明るくやさしい。
夫も妻を愛しみ、これからの二人の暮らしについて語る。
互いに病気など無いかのように振る舞う。

そして妻は東京に戻るため、新幹線に乗る。
「列車が動きはじめた。二、三歩列車を追った。
  また手を振り、笑みを送る。
高子はもう涙を隠そうともせず立ち尽くしていた。
  口元がふるえている。大きく開かれた目。胸の前で無意識に組まれた手」

ガラス越しの別れが、やがて来る永遠の別れを予感させ、二人を慄かせる。
愛する者を失う悲しみ、残された時間の少なさ。

 「やはり知っていたんだなと思う。
どうやらわたしが自分の病気を知っていることまで悟られてしまった。
  それもいいだろう。こうなったらもう遠慮することはない。
  少しでも彼女とすごすことにしよう。(略)
  そうだ、なぜ一緒にあの列車に乗らなかったのだ。
  自分の迂闊さに腹が立った。見えなくなった列車を目で追いながら
  わたしはひとりホームに取り残されていた」

残された人生にたいする決意、隠す優しさよりも心を開いて寄り添うことを
選び取ったことによる安らぎ。

秋の夜長にはこんな小説もいい。