広重ツアー 「千束の池袈裟懸松」と「八景坂鎧掛松」
学生時代も含めると東京には15年以上住んでいるが、
行ったことのない町がまだたくさんある。
広重名所江戸百景講座はそんな縁薄い町を訪れるいい機会でもある。
昨週末は大田区の千束と大森を回った。
広重は駅付近から「千束の池袈裟懸松」(第110景)を書いている。
上の写真右側に見えるこんもりした林が、袈裟懸松のあった場所。
当時の松はもう無いが、風景全体の雰囲気は広重の絵に通じるものがある。
当時の松はもう無いが、風景全体の雰囲気は広重の絵に通じるものがある。
そして袈裟懸松の向こう側(北側)には勝海舟夫婦の墓がある。
海舟は富士山が見える場所に眠りたいと言って、生前ここに墓所を作った。
でも女癖の悪い海舟と一緒はいやと言って、妻は別な場所に墓を作った。
後年誰かが合葬したそうだが、本人達は墓の中でそっぽを向いてるんだろうねえ、きっと。
でも女癖の悪い海舟と一緒はいやと言って、妻は別な場所に墓を作った。
後年誰かが合葬したそうだが、本人達は墓の中でそっぽを向いてるんだろうねえ、きっと。
家康以前の東京は中央政治と無縁の片田舎、と思いこんでいたが、
歴史の転換に深くかかわってもいたのだ。
フンフンなるほど。
歴史の転換に深くかかわってもいたのだ。
フンフンなるほど。
こちらの松は頼朝の御先祖、義家が兜をかけた(と伝えられる)松。
(昔の人は松を見ると何かを掛けたくなったようだw)
(昔の人は松を見ると何かを掛けたくなったようだw)