広重ツアー 「千束の池袈裟懸松」と「八景坂鎧掛松」

 
学生時代も含めると東京には15年以上住んでいるが、
行ったことのない町がまだたくさんある。
広重名所江戸百景講座はそんな縁薄い町を訪れるいい機会でもある。

昨週末は大田区の千束と大森を回った。



始めて降りる東急池上線洗足池駅
駅を降りると道路(中原街道)一つはさんで北側に池が広がっている。

イメージ 1


広重は駅付近から「千束の池袈裟懸松」(第110景)を書いている。

イメージ 2

手前が中原街道、右側の松が袈裟懸松、日蓮が足を洗うために袈裟を懸けたという伝説があった。


上の写真右側に見えるこんもりした林が、袈裟懸松のあった場所。
当時の松はもう無いが、風景全体の雰囲気は広重の絵に通じるものがある。

(注)このあたりは日蓮を庇護した池上氏の領地、そして
    近くには日蓮ゆかりの池上本門寺もある。



そして袈裟懸松の向こう側(北側)には勝海舟夫婦の墓がある。

イメージ 3

海舟は富士山が見える場所に眠りたいと言って、生前ここに墓所を作った。
でも女癖の悪い海舟と一緒はいやと言って、妻は別な場所に墓を作った。
後年誰かが合葬したそうだが、本人達は墓の中でそっぽを向いてるんだろうねえ、きっと。



さらに池沿いに進むと千束八幡神社がある。
伊豆の挙兵で失敗した頼朝が、反転攻勢を開始した場所である。
源氏を応援する関東の武士が集結し、ここから中原街道を通って鎌倉を
目指した。

家康以前の東京は中央政治と無縁の片田舎、と思いこんでいたが、
歴史の転換に深くかかわってもいたのだ。
フンフンなるほど。


その後バスで大森駅前に出る。
大森駅の西側を品川方面に向かう坂が八景坂。
広重は東の方向を向いて第26景「八景坂鎧掛松」を描いている。

イメージ 4

こちらの松は頼朝の御先祖、義家が兜をかけた(と伝えられる)松。
(昔の人は松を見ると何かを掛けたくなったようだw)

崖の下に見える松並木は東海道、左側の海中に突き出しているのが品川宿
現在のJR大森駅は画面右下、崖の中腹にある。
鎧掛松は駅の北口あたりにあったらしいが、今はビルが林立し、眺望もまったく効かない。