「多二のおばあちゃんの昔ばなし」
神田市場は関東大震災(大正12年)のあと、秋葉原に移転した。
その頃おばあちゃんは6才、従って震災前の様子には母親からの伝聞も多いが、
震災後も市場ゆかりの店や人がたくさん残っていたので、市場町の様子が
活き活きと伝わってくる。
その頃おばあちゃんは6才、従って震災前の様子には母親からの伝聞も多いが、
震災後も市場ゆかりの店や人がたくさん残っていたので、市場町の様子が
活き活きと伝わってくる。
なんといっても町の人々の名前がいい。
辰五郎、浅次郎、藤七、長太郎、鐡五郎、長兵衛、足立屋の豊ちゃん、・・・
江戸もの、明治もの小説で見かける名前のオンパレードではないか。店の屋号も魅力的だ。
塩栄は先日写真をアップした八百屋である。
そのとき、いわくありげな店名だと書いたが、やっぱり訳ありだった。
元々は塩問屋を営んでいたが、おばあちゃんのおじさんが商いをしくじり、
八百屋に転向したのだそうだ。
そのとき、いわくありげな店名だと書いたが、やっぱり訳ありだった。
元々は塩問屋を営んでいたが、おばあちゃんのおじさんが商いをしくじり、
八百屋に転向したのだそうだ。
伊勢長(松本家)は今も多二の通りに残っており、なんとか記念物に指定されている。
![イメージ 2](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/svsv/20191007/20191007145442.jpg)
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ふだんなにげなく通り過ぎている町にも当然歴史はある。
おばあちゃんの話を読んで、それがちょっぴり見えてきた。
おばあちゃんの話を読んで、それがちょっぴり見えてきた。
朝の神田散歩では、その歴史を探しながら歩いてみようと思う。