「多二のおばあちゃんの昔ばなし」

 

「西平の神田探偵団」というサイトがある。
ここに「多ニのおばあちゃんの昔話」というインタビュー記事が載っている。
これがたいへん面白い。


多ニとは神田多町二丁目、かって神田市場があった場所だ。
大正6年生まれのおばあちゃんが昔の町の様子を語っている。

神田市場関東大震災大正12年)のあと、秋葉原に移転した。
その頃おばあちゃんは6才、従って震災前の様子には母親からの伝聞も多いが、
震災後も市場ゆかりの店や人がたくさん残っていたので、市場町の様子が
活き活きと伝わってくる。

神田明神への宮入で日本橋の魚河岸と競っていた様子、
倶梨伽羅紋々を背負った旦那衆、町の鎮守様が移転を繰り返した経緯、・・・。

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iPhoneで撮影、以下同)


なんといっても町の人々の名前がいい。

辰五郎、浅次郎、藤七、長太郎、鐡五郎、長兵衛、足立屋の豊ちゃん、・・・

江戸もの、明治もの小説で見かける名前のオンパレードではないか。



店の屋号も魅力的だ。

西藤、伊勢長、傘長、大安(ダイヤス)、伊勢万、山長、村常、万惣、塩栄、大亀・・・。

塩栄は先日写真をアップした八百屋である。
そのとき、いわくありげな店名だと書いたが、やっぱり訳ありだった。
元々は塩問屋を営んでいたが、おばあちゃんのおじさんが商いをしくじり、
八百屋に転向したのだそうだ。

万惣は中央通りの向こう側に今も大きな店をかまえる果物屋である。
ここは売れ残ったスイカから作ったジュースで大きくなったのだそうだ。

伊勢長(松本家)は今も多二の通りに残っており、なんとか記念物に指定されている。
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小ぶりだが美しい商屋である。
神田祭では町神輿の拠点がこの家の横の路地に作られる。



ふだんなにげなく通り過ぎている町にも当然歴史はある。
おばあちゃんの話を読んで、それがちょっぴり見えてきた。

朝の神田散歩では、その歴史を探しながら歩いてみようと思う。