江戸ツアー第二回目は江戸一番の繁華街、両国界隈である。
先ず向かった先は回向院。
境内をほぼスルーし、お寺の外に出たところで、「両ごく回向院元
柳橋」の説明があった。
回向院は明暦の大火で亡くなった人を供養するために作られたお寺、
供養の費用をねん出するために境内で
勧進相撲が開らかれた。
広重の絵も、相撲櫓により回向院と分かる仕掛けになっている。
櫓の上に見える白い房は相撲興業が開かれていることを示すもの。
川向こうに見える橋は
薬研堀にかかる、元
柳橋である。
橋の北側(右手)には両国広小路が広がり、両国橋が江戸市中(武蔵)と本所(房州)を結んでいた。
切絵図の赤丸の付近が絵のビューポイントである。
当時は両国橋を渡って、その突き当たりに回向院の入り口があった。
現在、両国橋とそれに続く道路(
京葉道路)は30~50mほど上流(北側)に移り、
回向院の入り口もその道路に面した側にある。
下の写真は江戸時代の回向院の入り口付近から旧両国橋の方角を見たものである。
高速道路とビルが見えるばかりである。
広重の絵はこの写真よりもう少し左の方角を向いている。
切絵図の両国橋のたもとには「垢離場」がある。
江戸の人々は
大山詣りに出発する前、ここで水垢離をした。
上の写真左に小さく見える駐車場の向こう側が垢離場の跡である。
このあたりは
赤穂浪士のかたき討ちの舞台でもある。
回向院裏(東側)にあった吉良邸で本懐をとげた
赤穂浪士は、両国橋の
たもとで休息をとり、
泉岳寺に向かった。
ただ両国橋を使わず、
下流の
永代橋を渡っている。
江戸城下に近付くのを遠慮したとも、両国橋を渡るのを拒まれたためとも言われる。